精神科病院の数
2012年と少し前の話ではありますが、OECD(経済協力開発機構)は、人口10万人あたりの精神科病床数が、日本は加盟国平均の4倍と、突出して多いとする報告書を出しました。
人口10万人当たり
加盟国平均:68床
1位 日本:269床
2位 ベルギー:175床
3位 オランダ:139床
参考 アメリカ:11床
世界的には日本は脱施設化が遅れている、という評価らしいです。
一方で、何かの機会で聞いたアメリカの精神科医師によると、精神科救急で入院したい場合もa few days(2~3日?)必要と言っていた記憶があります。
さらに、イタリア。
精神科病棟は基本的にないらしいです。
私も文献で読んだだけなのですが…
なんだか極端な話ではありますが・・・
本当に自傷・他害のリスクが高い場合や、周囲の家族が限界だった場合どうするのだろう?とふと思ってしまいます。
私は病院・医療アナリストではありませんので、ちょっと違う視点から考えてみます。
違いを生み出す「普通」の感覚
この病院の数の違いはいろいろな原因があると私は思います。
・医療制度や福祉制度そのもの
日本は国民皆保険ですが、アメリカは違います。
オバマケアによって状況は多少変わったとしても、日本と即時そのまま比較はできないでしょう。
福祉に関しても同様でしょう。
EAP(企業のメンタルヘルス)が始まったのもアメリカからですが、その背景はアルコール問題がありますし。
・文化的背景
文化的背景の中にもいろいろ包括しすぎてますが・・・
単純に精神科疾患への対応、許容度、地域での受け皿など(福祉と重なりますが)、これも大きく異なるものでしょう。
・歴史的背景
有名な話?ではありますが、アメリカはカウンセリングのオフィスは床屋より多いといわれています。
(本当かどうかは私は調べたことないですが…)
それくらい、薬物療法だけではなく、心理療法がメジャーで当たり前という認識でもあります。
ここで取り上げたいのは、単純な病床数の話ではなく、「日本の普通は世界の普通ではない」という、ひとつの事実です。
もう一つ言っておきたいのは、普通というのを「良い」「悪い」の尺度ではここでは議論をいたしません。
日本は、精神科で事前に申し出をしておけば、割と簡単に入院できます。
日本の医療保護入院は比較的簡単に行われていますが、アメリカではかなり厳しいようです。
アメリカでは、薬物療法と同じくらいカウンセリングが重要視されますが、日本では薬物療法のみがほとんどです。
これらの事実は、「普通」という言葉の危うさを再認識させてくれるものです。
私たちが思っている「普通」は国際単位では普通ではないかもしれないのです。
同じように、私たちは文化依存としては最小の単位、「家庭」というもので育てられています。
その家庭の文化の「普通」とは、本当に「普通」なのでしょうか?
たとえば、私はてんぷらに醤油or塩or天つゆが「普通」と思っていますが(私の家はそうでした)、関西の方はソースが「普通」のようです。
私たちのメンタル、「これが普通」と思っているのは、本当に必要な「普通」なのでしょうか?
本当に私たちがより良く生きていくための「普通」なのでしょうか?
オフィスを開設して以来、驚いていること
私個人の主観にはなりますが・・・
私も長く精神科病院にいました。
その中で、薬物療法の重要性や必要性はわかっているつもりです。
ですが、自分のオフィスで実際にカウンセリングをしていると、不思議なことにしばしば出会います。
例えば、医療にいたときは「1年くらいかかるかなぁ」と思っていた患者さんが、半年くらいで治っていくのです。
そういう方は、一人二人ではありません。
繰り返しにになりますが、薬物療法の重要性や必要性はわかっているつもりです。
それでもなお、本来のカウンセリングの重要性は自分の予想を超えていたのだなぁと思います。
薬物療法は重要です。
しかし、同じくらいカウンセリングも重要なのでしょう。
日本は今カウンセリングに重きをおいていないように感じています。
その「普通」は、本当に普通なのでしょうか?
私が思ういい治療とは…
精神科の医師が適切な薬物療法や精神療法(さしあたっては診察の意味)を行いつつ、
薬物療法だけでは改善が難しい、ないし心理療法を加えることによって加速度的に治療が進み社会生活を営めることが見込まれる方には、ちゃんとした心理療法を展開していく。
こういった両輪の治療が精神科的にいい治療ではないかと思っています。
当オフィスでは、精神科病院も長く勤めていた臨床心理士によって運営されています。
また、必要に応じて懇意にしている精神科医のご紹介も可能です。
安心してご利用ください。