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集団極性化と会社文化

最近、お勤めの方のカウンセリングを多くするようになりまして、ふと思ったことを書いてみようかと思います。

 

会社というのはもともと創業者がいて、その思考・方向性に賛同するものから始まるはずです。

会社が大きくなっていくと、そこに色々な人が入ってくるわけですが、会社ごとに「文化」とも言えるものが存在するようになります。

(テレビ東京・カン○リア宮殿などではその様子が非常に良く紹介されていますね)

 

さて、その文化には一つのリスクがあると考えます。 集団で意思決定を行う際、個々人が最初に考えていたことや感情などが、集団で討論をする中で極端な方向へ強くなる、という現象があります。

これが集団極性化と呼ばれるものです。

(社会心理学は専門ではないので、違っていたらごめんなさい)

 

一人で考える時よりもリスクが高いものの判断になるのがリスキー・シフト、より安全性の高い判断になるのがコーシャス・シフトと呼ばれます。

これはどんな会社や集団、文化においても起こっているのではないかなぁと思っています。

 

会社というのにはそれぞれ文化があります。

部署単位でもあると言ってもいいでしょう。

管理職の色合いというのが多く出るのかもしれません。

それがCEOという立場であったとしても、係長クラスの中間管理職であったとしても、です。

会社で昇進するためには、上司に推薦される働き方をしなくてはならないのが暗黙のルールです。

でないと、昇進なんてしませんからね。

そうなると、必然的に上司が好むやり方をする労働者が昇進をしやすくなります。

それはもはや文化と言ってもいいでしょう。

 

このように、会社とはトップに好まれる形の働き方をする者が自ずと昇進をしやすくなるシステムなのです。

そうなると、上級管理職のいる会議室というのは、必然的に表向きは皆社長の言うことが絶対になってくるわけです。

ここにリスキー・シフトやコーシャス・シフトが起こりやすくなる一つの原因があると思います。

こと、日本は個の意見よりも集団としての調和を重んじる社会らしいです(科学的データはわかりませんが)。

すると、そもそも建設的な意見を出し合う話し合いというのにはならないわけですね。

会社の決定が時におかしな方向へ決定になるのは、こういう時ではないかと思います。

逆に、個の裁量が会社の方向性の上で認められている会社というのは、非常にユニークな会社が多いように見受けられる気がします。

 

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これは政治の世界でも同じようです。

ジョン・F・ケネディ大統領とリスキー・シフトというのは有名な(?)話です。

あまり歴史は詳しくありませんが、ものすごく簡潔に述べると、大統領ほどの人が、大統領の側近を務めるほどの人達が、わずか1500人の軍隊で2万人に挑んで惨敗した、ということのようです。(ビッグス湾上陸作戦、興味があれば、google検索でもしてみてください)

つまり、個々人では間違いなく頭がいいはずの人たち(大統領とその側近の人たち)が、集団になった瞬間に愚かな決断をくだしてしまっている、ということです。

これを防ぐために幾つかの方法が提示されています。

 

第三者機関の専門家を招く、悪魔の代弁者(あえて反論をする人、いわゆるクリティカルシンキング)を作る、集団を分割、下位集団で討論して、その結論を大集団で再度討論する …等

日本文化の中で苦手なことばかりですね…

「個」と「集団」のどちらを重んじるか?という点では、間違いなく日本文化は「集団」と思われます。

結果として、よく考えて、いるであろう「個人」は、「集団」の中では、特にいわゆる日本文化的な中では、うまく機能できないのが現状なのでしょう。

 

そして、残念ながら比較的ちゃんと考えていると思われる個人が、当オフィスにいらっしゃることもしばしばあります。

すべて問題が会社に、あるいはその個人にあるというつもりは毛頭ありません。

学校でも、企業でも、「個」の意見と「集団」の調和を両立できるような新しい文化を作ることがこれから求められているのかもしれません。

 

さて、このような集団極性化の文化が行き過ぎると、時に残念な事件を引き起こしてしまうことがあります。

 

そのうちの一つが、電通事件と呼ばれるものです。